オギソ看板のご紹介

会社概要
会社名 | 有限会社 オギソ看板 |
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代表者 |
代表取締役社長 小木曽 由起子 |
所在地 |
〒395-0042 長野県飯田市松尾町2-12 |
電話番号 |
TEL 0265-23-0292 FAX 0265-52-6077 |
従業員数 |
6名(屋外広告士1名) |
営業品目 |
●店舗看板・店舗サイン(企画・設計・施工) ●野立看板 ●木製看板 |
会社の歴史 |
創業昭和41年 飯田市扇町 |
アクセス
会長挨拶
オギソ看板のHPをご覧いただきありがとうございます。
田舎の小さな看板屋ではありますが、創業以来お客様はもちろんのこと、仕入先の皆さま、
地域の皆さまに支えられ、お力添えのもと今日まで営業させていただいております。
この商売を始めてもうすぐ半世紀。
面白いほど仕事に恵まれ、有意義で充実した日々を送った時もあれば
時代の波に翻弄された時もありました。
まさに、山あり谷ありの歳月でした。
筆一本から始めた商売もデジタル化が進み、取り組み体制がめまぐるしく変化しており
昭和一桁生まれの私にとってとまどうことばかりですが、
創業当初からずっと大切にしてきたこと、それは、「義理」と「人情」です。
人の恩を忘れず、感謝の気持ちを常に持ち、いつも相手の気持ちになって取り組む
ということです。
薄れがちな人と人との心の絆を大切に、これからも皆さまのお手伝いをさせていただきたいと思っております。
会長 小木曽 貢(まこと)
スタッフプロフィール
昭和41年に飯田の町で看板を揚げました
看板屋の看板娘としてウン十年! ゆっこにお任せ!くださいね^^

12月10日生 いて座 O型
代表取締役:営業、デザイン・出力担当 (お笑いも担当)
通称:ゆっこちゃん
←顔をクッリク!担当したお仕事が見れます。
父が看板屋を始めたせいでペンキや筆、釘や金づちを見て育ちました。
何もないところから物を作り出すことの楽しさがわかるようになり、
そして仕上がった看板を見て感動したことを今でも覚えています。
重い看板を持たされたりして腕力も付きました。
私は、主にデザインと出力(カッティングとインクジェット印刷)を担当していますが、お呼びがかかれば喜んでどこにでも伺います^^
最近は看板製作の過程でのやりとりが電子メールやFAX、電話だけ、なんてこともありますが、やっぱり対面での打ち合わせのほうが間違いないですよね。
そのほうがお客様のご希望がイメージしやすいです^^
どんなことでもとりあえず相談してみてください。
今までの経験を生かしながら、スタッフ全員で知恵を絞って考えて
きっと、いえ、絶対満足していただけるような看板を作りますから!
絵を描くのが得意!看板の道一筋30年のベテランです

11月15日生 さそり座 A型
専務:営業、製作推進全般担当
屋外広告士登録 第0047号
通称:こいけくん
←顔をクッリク!担当したお仕事が見れます。
昭和34年生まれ。
子どもの頃から絵を描くのが好きで、小中学校時代は絵画展で数々の賞を受賞。
京都友禅染の図案師を志したこともありましたが、地元飯田に残ることを決意し、看板の道に入り30余年。
回りの支えてくださる皆様に感謝の気持ちを忘れず、毎日が挑戦の日々です。
プロとして、オンリーワンを目指しています。
物作りが大好き。なんでも納得のいくまで丁寧に仕上げます!

2月3日生 みずがめ座 O型
経理・デザイン・出力担当
通称:さえちゃん
←顔をクッリク!担当したお仕事が見れます。
わたしが物心ついた時には、父(会長)はこの看板の仕事を始めていました。
小さな町の小さな看板屋で、筆で書く父の姿を見て育ちました。
わたしが小学生の頃、今はもう見ることの無いチャンネル文字を父はたびたび家に持ち帰り、夜なべに母と一緒に仕上げていました。私は子どもながらに、こんな大変な仕事はイヤだなぁ・・・とよく思ったものです。
しかし、今わたしは、父と同じ仕事をしています。
作業の内容はずいぶんと変わってきましたが、物造りの楽しさがだんだんとわかってきました。
O型のおおまかな性格ですが、作業は几帳面にやります。子どもの頃から今もそうですが、折り紙など角と角がきちんと合わないとか、仕事面でもちょっとでもズレたり曲がってたりすると何度でもやり直してしまったり・・・。
とにかく自分で納得のいくまでやっちゃうタイプです。
そんな性格を看板作りにも生かして、お客様に喜んでいただける看板を頑張って作ります!
パソコン使って経理を頑張るお母さん!

3月23日生 おひつじ座 O型
経理担当
通称:おくさん
サラリーマンの家に嫁いでから数年経ったある日、
お父さんが看板屋として独立すると言い出したときは驚きました。
そもそも看板屋などという職業自体を知りませんでしたから・・・^^;
商売に対するノウハウもなく、ただがむしゃらに突っ走ってきました。
担当している経理も、昔はすべて手書きで書類の整理なども大変でしたが
パソコン導入後はずいぶんと楽になってありがたいです。
経験豊富な職人さんたちにどんな注文でもしてくださいね!

山しかないそこに、父が描いた看板があった
毎日毎日仕事オンリーだった父が、珍しく家庭サービス?で、母と娘二人を連れ出したことがありました。
山しかないこんなところにいったい何があるんだろう・・・
好きな看板業で独立し毎晩帰りが遅かった父
無言で晩酌をする父
帰ってくると何故か機嫌が悪く面と向かって話しをするなんて怖くてできなかった父
新聞広告の裏が白い紙を枕元に山のように置いていた父
腹這いになってその白い紙に毎晩看板の下書きをしていた父
子どもだったけど絶対間違いないと思いました。
山しかないそこに、父が描いた看板があったんです。
絶対間違いないと思ったとき、なんだか嬉しくなってきました。
こんなに離れた山の奥に道案内の父の「字」があるなんて・・・
父は黙ってたけど見せたかったに違いない。
看板の文字は少し曲がっていたけれど、ホッとするような優しい「字」・・・
今でもあるのかな~
仕事のことしか頭になくて、毎日遅くまで頑張っていたんですね。
お酒飲まなきゃやってられなかったんですね。
イヤなことや辛く苦しいこともたくさんあったんですね。
家族を養うということはそういうことなんですね。
子どものころは理解できなかったけれど
一緒に仕事をするようになってあなたの偉大さがわかりました。
厳しい時代の波に飲み込まれないよう精一杯胸を張って努力して
あなたが守ってきたモノを私たちが受け継ぎます。